八重山伝統手工芸を現代に受け継ぐ・・・
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八重山上布について
琉球王朝時代、八重山地方では人頭税という苛酷な税制が約270年も続き、15~50歳までの男女が人頭税とし、反物や穀物などを納めていました。八重山上布は薩摩藩を通して江戸、大阪などへも出荷され、琉球王府においても大変な貴重品となり、ごく限られた人々だけが身につけられる、庶民の生活からはかけ離れた高級な織物とされ、南国の風土と島人たちの手によって育てられ現代に受け継がれています。
近年、植物繊維が見直され、特に「八重山上布」は麻地の感触と洗練された絣柄で高い評価を受けています。風通しもよく、天然の色合いと素朴な絣柄が、夏の衣服として最適でのれんやタペストリー等インテリアとしても多くの人々に愛用されています。 原料となる苧麻の中で一番よい糸を作り出す事が出来るのが、方言で『ウリズンブー』と呼ぶ『春の苧麻』。手作業によって手つむぎ糸となります。亜熱帯の島々の山野に自生する紅露、福木、その他の直物で染められ日本各地に伝わる絣模様の原型である手織上布となります。
八重山ミンサーについて
1634年、川平村の大浜安師が木綿の栽培から製造までの技術を慶良間諸島からを持ち帰ったことが八重山地方の綿織物の始まりとされています。
古来は八重山地方の習慣に、男性に求婚された女性がその返事代わりに幅の狭い織物を織り、男性に贈っていたことから、綿でできた幅の狭い織物「綿狭」が転訛し、「ミンサー」となったといわれています。