夢見る八重干瀬
- 宮古島
宮古島
~サンゴ礁が隆起してできた島~
宮古島はサンゴ礁が隆起してできた島です。畑の土の中から出てくる小石もサンゴのかけらです。つまり、サンゴの上に町ができ、人が暮らしているわけです。世界のサンゴ礁の面積は、海全体の0.07%ほどにすぎません。暖かくきれいな、ごく限られた海にだけ、サンゴは育ちます。中でも、宮古島や八重山の海は、豊かなサンゴ造礁群が広がり、その種類も400以上におよぶ、世界有数の地域なのです。
八重干瀬
~暮らしを支える豊かな漁場~
宮古島の最北、池間島のさらに北方沖合には、八重干瀬(やびじ)と呼ばれる、南北10キロメートル、東西6.5キロメートルのサンゴ礁群があります。大小100以上ものリーフ(干瀬)は、ふだんは、東シナ海の2メートルほどの水底に隠れている暗礁ですが、春から夏にかけての、大潮の干潮時には海上に広大なサンゴの陸地が出現する『幻の大陸』として知られています。シュノーケリングやダイビングスポットとして大人気の八重干瀬ですが、柳田国男は、こここそが日本に稲の種をもたらした場所であるという大胆な仮説をたてています。八重干瀬では、古代中国で財宝として珍重された宝貝が豊富にとれたため、宝貝を求めて海を渡ってやってきた人々から稲の種が持ち込まれたというのです。その真相は明らかではありませんが、八重干瀬が昔も今も、宝を産むほど大切な場所であることは違いありません。とくに池間の海人(インシャ)たちにとって、八重干瀬は暮らしを支える豊かな漁場です。海の畑とよび、「八重干瀬に足を向けて寝る漁師は、よい漁師になれない」と教えられてきたといいます。リーフのひとつひとつには、池間の言葉でつけられた名前があります。ンナ・ヌ・ヤー(サザエの家)や、ウル(海藻)など、そこでとれる海産物にたとえる命名も多く、海人の知恵を伝えています。
一方、八重干瀬は魔の海域。一歩誤れば船が座礁してしまう危険地帯でもあります。有名なところでは、1797年のイギリスの軍艦プロビデンス号の座礁沈没事故。座礁後、小型帆船に乗り換え広東に向かうまでの間、宮古島の人々から手厚いもてなしを受けた当時の状況が、ウィリアム・ブロートン艦長の航海日記に詳しく記されています。ちなみに、沈没したプロビデンス号については、過去何度か調査がおこなわれましたが、領域がある程度特定されているにもかかわらず、まだ見つかっていません。サンゴにおおわれ、海の一部となって静かに眠りつづけているのでしょうか・・・それとも!謎の幽霊船の正体とは!?次号に続・・きません(笑)