西塘御嶽【竹富島】
- 八重山
- スポット
島の守護神として祀られる「西塘御嶽」
竹富島が生んだ偉人・西塘の眠る「西塘御嶽」は島の中心部、まちなみ館の向かいにある御嶽です。西塘とは首里王府に25年も仕えた技師で、1519年に首里の園比屋武御嶽の石門築造などで活躍した人物です。島では「西塘精神」という言葉が残されるほど、偉大なる政治家・篤実家・愛郷家として尊敬されています。
西塘の歴史は1500年、西塘が12歳の時にオヤケアカハチの乱のために竹富島に遠征してきた王府軍大将・大里按司との出会いが始まりでした。
大里按司に聡明さを見出された西塘は首里に連れられ、言葉や文字をはじめとする様々な学問を修め、土木建築家になりました。西塘が建築した園比屋武御嶽の石門は世界遺産にも登録されています。また、首里城の城壁修復も行っていたと伝えられています。のちに八重山地方の行政長官となった彼は、竹富島のカイジ浜近くに蔵元(役所)を建てて政治を執り、園比屋武御嶽の石門建築の際の「園比屋武御嶽の神様を竹富島に勧請する」という願いを叶えました。
その後西塘は蔵元を石垣島に移して政治を執り、人生を全うしました。愛郷家である西棟は石垣島から竹富島を眺めながら、島を思う気持ちを歌った「しきた盆」という歌を作りました。今では「しきた盆」は竹富島の代表的な歌となり、種子取祭の奉納芸能にもなっています。